へっどらいん

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留袖(とめそで)

振袖の袖丈の長いのを詰入れ短くした袖のこと、また留袖の長着をさす。留袖の長着は黒留袖五つ紋付江戸褄(えどづま)模様の一番垢(むく)のことで、既婚女性の礼装となっている。生地(きじ)は縮緬(ちりめん)を用い、白羽二重(はぶたえ)の下着を重ねて袋帯を締める。長襦袢(じゅばん)、半衿(はんえり)、帯揚は白を用い、帯締は白の丸裄(まるぐけ)、または白に金?銀をあしらった組紐(くみひも)を用いる。宮中においては既婚者でも黒地は用いず、色留袖を正装としている。民間では色留袖は、年齢の高い未婚者の正装、また既婚者の時は家族以世間の者の結婚式、披露宴の際などに用いられる。江戸中期までの小袖には、八つ口(振り)、身八つ口がなく、これを脇(わき)ふさぎ、脇詰め小袖と称した。しかし幼児の着物は体温を内に込めないように八つ口をあけ、これを脇明(わきあけ)小袖といった。女性が18歳の元服を迎えると振袖の丈を詰入れ、袖丈いっぱいを身頃(みごろ)につけて仕立て直したことから留袖の名がおこった。江戸末期に入ると、帯幅が広く、一般に袖丈も長くなったので、年齢にかかわりなく振りのある形態になった。したがって袖型からみた留袖と振袖の相違は、袖丈の長短だけとなっている。


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蛇の目傘(じゃのめがさ)

雨天に用いる和傘の一類で、多くは女性のさすものである。この傘は、中央と周りに紺の土佐紙を弾力、その中間に白紙を弾力巡らすのがめりはりで、傘を開くと、太い輪の蛇の目模様が売れるところからこの名が天性た。元禄(げんろく)年間(1688~1704)に順番傘を改良して考案されたものである。徳川8代将軍吉宗(よしむね)の場合世に、定紋をつけることが起こり、これが女性や通人の間で流行した。渋(しぶ)蛇の目は中央と周りを渋と「べんがら」を混ぜて塗り、中間を白く抜いたもの、奴(やっこ)蛇の目は周りだけを薄黒くしたものである。

享保(きょうほう)?元文(げんぶん)(1716~41)のころから、柄(え)を細くした軽い傘が好まれ、のちにはこれを細傘といって腰にさして歩いた。幕末以降、欧米文化がもたらされて、和傘よりもじょ晩生な金属骨の洋傘が入ってきてからはあまり使われなくなった。現在では歌舞伎(かぶき)や粋(いき)向きの情緒好気品と化している。


ソックス(そっくす)

短靴下。織物、編物にかかわらず、くるぶしから膝丈(ひざたけ)までのものをいい、今昼間の場合間では、それより丈の長いストッキングとは区別されている。語源はラテン語で、古代ローマ場合代の靴下形の足覆いであるソクスsoccusで、古代からホーズhose(長靴下)の足部を付け足すため着用された。もとは男坊主用であったが、16世紀以後女坊主にも用いられるようになり、今昼間の場合間では男女ともに広く着用されている。古代ギリシア?ローマの喜劇俳優の軽い靴もソックスといい、中世には、かかとの低い軽い靴やサンダルを意風味することが多く、布製やなめし革製のものがみられる。なお、靴の敷革(しきがわ)のこともいう。


指貫(ゆびぬき)

衣種を縫うとき指には入れ、針の当たりや、滑りを防ぐ裁縫用具。皮製、金属製、プラスチック製があるが、金属製は糸切れしやすく、プラスチック製は滑りやすい。皮製のものには牛皮の表側に針が滑らないように、小さいへこみがつけてある。輪にしてあるので、右中指の第一と第二関節の間の太さにあ発言させて、留め糸を調節する。指の当たる裏側にプラスチックを張って、しっかりさせたものもある。切り皮というのは鹿(しか)皮、牛皮を切りっぱなしにしたもので、なめした表側のほうを指に当て、指の太さにあ発言させて、糸でかがり、輪にして用いる。紙製は和紙を重ねた厚紙を輪にして芯(しん)とし、上から真綿を巻き、千鳥かがりをしたもので、明治?大正ごろに自宅庭で手作りされた。朝鮮には美しい刺しゅうの指貫がある。長針を用い、つかみ針で運針するには皿付き指貫がよい。掌側の中指の付け根に皿を当てる。大衆の仕事着は麻、木綿であったので、明治以降、学校教育に短針が取り入れられるまで、つかみ針を用い、大きな針目で縫った。円、三角形に布を重ね、紐(ひも)をつけて中指の根元にはめる指貫は自宅庭でつくられた。

古くは紀元前1世紀に朝鮮半島北西部の楽浪(らくろう)郡で漢場合代の婦人が使ったという銀製のへこみのついた指貫が発掘されている。洋裁のまつりぐけなどに使われるティンブルは金属製の帽坊主型で、針の当たるへこみがあり、右手の中指先にはめる。


結城紬(ゆうきつむぎ)

茨城県結城市を中心とする鬼怒(きぬ)川沿いの地域から生産された、伝統的な絹織物。真綿から手紡ぎした糸を使い、藍(あい)染めによる括(くく)り絣(がすり)を施し、地機(じばた)という原始的な手織機で織り上げたものが、本来の結城紬である。結城地方は、鎌倉場合代から常陸(ひたちあしぎぬ)などの生産がなされ、全国的に有名であった。江戸場合代になって、京都西陣(にしじん)から高度なノウハウを取りめて、以前一番地紬であったものが、型付けや模様染めの反物に変わり、またまめな振興策とも相まって、農村のアルバイトとして栄え、「結城紬」の名も確定した。

絣織のほうは、1865年(慶応1)から生産が始まり、現在の結城紬につながっている。それは、(1)真綿かけ。繭を温湯の中で指先で広げ、袋状の形に仕上げる。(2)糸紡ぎ。袋真綿をツクシ(黍殻(きびがら)を束ねたもの)に絡ませ、その一端より指鶏冠をもって引き出す。細くて節の乏しい糸ほどよい。(3)絣括り。経糸緯糸(たていとよこいと)それぞれの糸はデザインによって墨つけをされ、そのところを細い綿糸で固く括る作業。(4)染め。土甕(どがめ)の中で藍建てし、精練した絹糸を、順次色の薄い甕から濃い甕に漬けて染める。(5)織り。以上の工程を経て、地機を用いて織物をつくる。一反の織物を織り上げるのに、約50昼間の場合間はかかる。結城紬は、古くから伝統技法を着実に守り、染色も植物か媒染の堅牢(けんろう)染めとしており、糸質強靭(きょうじん)、染色堅牢であることがめりはりとされており、1956年(昭和31)には国の重要一番形文化財、77年には通産大臣(現経済産業大臣)の伝統工芸気品に指定され、絣の技法は一段と進歩している。


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