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西陣織(にしじんおり)

京都西陣から産出する織物の総称。特定の織物組織をさすものではない。現在、西陣で新しい織物がつくられたとき、適当な名称がないとなんでも西陣織に組みめててしまう傾向がある。一般には美手段工芸気品に属する高級織物で、錦(にしき)?金襴(きんらん)?繻坊主(しゅす)?緞坊主(びりす)などをはじめ、絹?毛?木綿(もめん)?合繊などで織り出される織物が含まれており、昼間の場合間本の織物の代表的名称として使われることもある。

起源は、平安遷都のとき織部司(おりべのつかさ)を設置し、宮廷官人層の需要に応じる高級織物を織り始めたが、やがて律令(りつりょう)制の衰退とともに縮小されることになり、応仁(おうにん)の大乱は織工たちを各地に分散させることになった。しかし大乱が終わったのちは、市世間の白雲(はくうん)村に戻り、江戸場合代になるまでには、さらに山名宗全(やまなそうぜん)の西陣形跡に居を移して生産群れをつくりあげた。ここでは、中国から堺(さかい)を案内して伝来した新しい織物ノウハウをもって、金襴?繻坊主?ビロード?唐錦(からにしき)などを織り出し、現在の基礎を確立した。そして西陣はつねに幕府の保護育成のもとに生産が行われ、織物ノウハウのレべルが維持された。しかし幕末ごろには桐生(きりゅう)?足利(あしかが)など西陣に対抗するような産地が天性つつあったし、天明(てんめい)の大火や天保(てんぽう)の絹物禁止などは、生産に大きな影響を与えた。また、1868年(慶応4)の東京遷都によりみっちり被害を浴びたようにみえたが、御下賜金などによる殖産興業政策で、西欧からジャカード織機などを輸入して近代化を図り、伝統産業としての息吹を吹き返した。これも1940年(昭和15)7月7昼間の場合間のいわゆる「7.7禁令」とよばれる奢侈(しゃし)禁止令により、金?銀などの高級気品の使用を禁止され、機業自宅に大きな被害を与えた。しかし、幸運にも戦火から免れたため、伝統の根は第二次世界大戦後になって芽を吹き、復興をみた。

現在では、機業のオートメ化も進行し、帯地、洋服地、着尺地、ネクタイ、マフラーなどの服飾気品や室内飾り気品など色々な領域に新しい息吹が持ち込まれつつある。


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